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るとき川面を見ると、何人もの人々がうつ伏せになって、ゆっくりと下流どの人の服もボロボロに焼けただれている。きっと火が燃え移り、熱くて川に飛び込んだのだろう。真っ黒に汚れたきいの頬に涙が伝わり、子どもたちと夢遊病者のようにトボトボと歩いていく。この年四月、中島飛行機は第一軍需工廠となり、事実上国有化された。といっても、この頃には、戦闘機の部品を作る鋼材などは全く入荷せず、に流れていく。中島飛行機で、戦闘機部品の完成検査の仕事をしていた高橋清は、八月五日の夜、当直司令だった。当直司令は、工場の幹部が毎晩交替で工場の夜間責任者としての仕事についていた。中島飛行機は、生産を休止しつつ存続していたが、工場にいる社員のプラ10      

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