機を生産し、戦闘機「零戦」の三分の二は中島飛行機が生産していた。そのため軍需工場は、米軍による戦略爆撃の主要な攻撃目標とされ、終この日夜九時頃、警戒警報のサイレンによって目が覚めた高橋きいは、慌てて着替えながら、大切なものを入れたリュックを持ち、二歳の娘を負ぶって、上の二人の娘の手を引いて、近くの病院の敷地内にある防空壕に向かった。夫の清は、夜勤で泊りだった。「こんな日に限り留守だなんて」きいは、独り言を言いながら夢中で走った。戦直前の八月五日の前橋空襲は、特に凄惨を極めたものだった。B二九爆撃機、九十二機が焼夷弾約七百トンを投下し、被災人口は全市の半分以上に及び、約七百人が命を落としている。周囲は、慌しさで殺気立ち、顔はみな引きつっていた。 8
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