逆運に溯る(著作集Ⅲ)

 飯塚 毅 著
(目次)

第1章 死活のふちに立つ会計事務所
 死活のふちに立つ会計事務所
 職業会計人と憲法
 申告書への添付提出を求める「データ処理実績証明書」
 共産党系税理士の主張と我れらの立場
 新年にあたり、申告是認体制の確立を祈りつつ
 申告是認の体制構築を阻むものは何か
 巡回監査実施必然の論理
 「監査」は公認会計士の独占用語なりや
 勝ち抜く者の条件、瞑想鍛錬
 痛快なり、新長官

第2章 会計人よ、進路の予見を誤るな
 会計人よ、進路の予見を誤るな
 税務会計の監査人に法的権限を与えよ
 あなたは、ホントに職業会計人だ、といえるか
 社会形成の原動力たる法の機能に目醒めよう
 国税庁通達の三重構造の淵源とその批判
 税法条文策案執筆の条件
 理想型の設定と法理の習得
 職業会計人のイデアールティプス再論
 マルクス理論の戦略性と、わが国租税法律主義の虚構性

第3章 申是体制構築上の諸問題
 租税回避について
 なぜ書類範囲証明書の添付が必要なのか
 電算機会計の法による規制の問題
 電算機会計とわが国の税理士法
 脱税・この愛しきもの
 日弁連同様に、侵蝕される税理士会
 福田前国税庁長官に叱られました
 エジプト共和国アリ外相との対談・世界空手道大会始末記
 開業等の届出に関する再論
 租税回避と脱税
 申是体制構築上の諸問題

第4章 会計人の生き方の根本問題
 会計人の生き方の根本問題
 身辺三題
 誤解
 抜隊禅師とその語録
 松島の瑞巌寺とわたくしの参禅
 租税法律主義と罪刑法定主義
 “a true and fair view”の本質
 第三次商法改正をめぐる誤解と謬論
 DATEVⅢ落成式典とTKCの対応
 このままでは、一般消費税、売上税、蔵出し税は必ず失敗する
 大学教授による錯覚の誘惑
 空の確証体験と自己の運命形成力の獲得
 租税正義(の原則)とは何か
 会計における地殻変動

第5章 自己探求
 ひとの生き方
 本当の貴方はどれですか
 自己探求
 自己探求の仕方(1)
 自己探求の仕方(2)
 自己探求の仕方(3)
 自己探求の仕方(4)
 人の性格は変えられるか
 空の確証体験
 現実認識論の二つのタイプ
 空の確証体験が運命形成能力を内包する

第6章 新たな10年に向かって
 未来に挑戦する職業会計人の基本的条件
  -第8回TKC全国大会記念講演より-
 新たな10年に向かって
 TKC全国会の申是運動の展望について
  -TKC池袋計算センター開設記念講演より-
 60年代に挑戦する会計事務所の在るべき未来像
  -TKC鹿児島計算センター開設記念講演より-
 飯塚会長をかこんで
  -鹿児島計算センター開設記念懇談会-
 日本会計研究学会太田賞受賞祝賀会
 昭和60年に向かって職業会計人を取り巻く環境の変化とTKC会計人の在り方
  -第1回TKC全国役員懇話会-


(はじめに)

 この本の題名の「逆運に溯る」というのは、元来が対句で、もとは「大石は激流に遡り、大人は逆運に溯る」というのです。昭和38年の元旦に、大同生命の社長三木助九郎さんが亡くなられたとき、その死の床の枕べに完成したこの書の表装が届けられたそうで、かねて建仁寺の竹田益州老師に書いて頂いていたのを軸ものとするため表具師に頼んでおいたのだそうです。それを虫の息の三木さんが、枕もとにいた奥様に「これを東京の飯塚さんのところへ届けてくれ」といって息を引きとられた、とのこと。奥様はこれを大事に胸に抱えて上京のうえ、泣きながらその模様を語りつつ、わたくしに贈ってくれたのです。前年の昭和37年秋に、伊豆の長岡温泉で、たった二人きりで向かい合って湯舟につかり人生を語り合ったことが、よほど三木さんの脳裏にきざまれていたらしく、死への門出の間際に、出来てきた掛軸をわたくしに贈るよう奥様に言い残されたのでしょう。
 事務所の所長室にかけておいたこの軸を見られた植木義雄老師は、厳しい顔をちらりとのぞかせて、「これは飯塚にはふさわしくないぞ」と、一言、戒めるように、たしなめるように、小さい声でわたくしに言われたのでした。 「飯塚よ、貴様は自分を、大石や大人だと錯覚するのではないぞ」と暗に教えておられたようでした。禅語には「老婆親切」という言葉がありますが、禅家の親切心は、相手の心底までも見透かしてものをいう場合が多いようです。それは徹底した正直さと、あくまでも禅の心髄に忠実な立場からの行動であり発言なのですね。その事があってから間もなく、飯塚事件というのが起きて、1年4か月の間、わたくしは脱税指導容疑という名目で、大蔵省の役人達に拷問的な調査を受ける羽目に立たされたのでした。わたくしは老師に向かって、「師の顔に泥を塗るようなことは一点としてありませんから、ご安心ください」と申し上げておいたのですが、この1年4か月の間に6回もわたくしの事務所を訪問されたのでした。「千慮の一矢」ということもあり得るからとお考えだったのでしょうか、手塩にかけた愛弟子に万一のことがあってはと案じられたのでしょうか、95歳にもなられた老大師が、 そ知らぬ顔をして6回も、この短期間中に、杖を引いて事務所を訪ねて来られた度に、わたくしは、師恩の切実さを感じて噴出する涙を抑えきれなかったことがたびたびでした。老師は97歳で遷化なさいました。わたくしの32年間の参禅は、これで終わりを告げました。そしてあれから、もう20年近くもたってしまいました。
 ドイツのマールブルク学派の哲学者ヴィンデルバント(Wihelm Windelband, 1848-1915)には、その死の1年前に第1版を出した「哲学概論」(Einleitung in die Philosophie)という名作があり、東北大学の法科学生 だったわたくしには、強烈な影響を与えてくれた本ですが、この先生にはスピノザがいった「永遠の相の下に」(Sub specie aeternitatis)という言葉を自分の著作の題名にした本があります。万物を、 超時間的に、その本質において見よ、といっているのです。自分の名前さえも、跡を残さずに去る。それが植木義雄老師の生きざまであり、死にざまだったのです

昭和60年6月 湘南の寓居にて

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