11 当時、プライス・ウォーターハウスはルイスヴィル&ナッシュヴィルの証明をするに当たって、今日の監査人よりもずっと多くの仕事をしていた。監査人の証明は──当時は会計事務所間で統一がなされていなかったのだが──鉄道会社の財務諸表が正確であることを事実上保証するものだった。 「われわれは、1897年6月30日までの1年間における会社の帳簿を監査し、後述の留意事項を条件に、22頁と23頁に記載された貸借対照表が正確であることを保証いたします。損益計算書上、54万6,570ドル87セントの改良費が営業費として計上されております」 しかし、メイは、約8万ドルの営業費が計上されていないことに気づいた。彼は、財務諸表に適切な記載をすべきだと主張した。ベルモント(ルイスヴィル&ナッシュヴィル社社長=筆者注)は激怒したが、プライス・ウォーターハウスの上司の後ろ盾を得たメイは一歩も譲らなかった。 この後、メイは、プライス・ウォーターハウスの監査人が弱腰になるたびに、いつもこの話をするようになった。そして、それでもプライス・ウォーターハウスが依頼人を失わなかったのだということを付け加えるのを決して忘れなかった。これこそが、成長と利益を生み出す今日の監査を行う職業専門家(auditing profession)がなくしてしまった、高い基準と廉潔性(integrity)を伴った献身(dedication)なのだ。 メイやその同時代の会計士たちは、質の高い仕事は、常に必ず市場によって報いられることを知っていた。今日の会計士は、それとは正反対に、短期的には成功を収めているかもしれないが、長い目で見れば自らの評判を台無しにしているのだ。*なお、ルイスヴィル&ナッシュヴィルに対する監査の状況は千代田(2014)の12-13頁に詳しい。ジョージ・O・メイ(1875年5月22日−1961年5月25日) イギリスに生まれ、パブリック・スクールを卒業後、勅許会計士となり、プライス・ウォーターハウス会計事務所に入社、渡米して市民権を取得、公認会計士となり、やがて、事務所長となって、会計士協会の要職を歴任し、会計士制度の発展に寄与した。ハーバード大学、コロンビア大学、スタンフォード大学など著名な大学の講師を務め、会計教育にも貢献した39。
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