10 公共会計士は、社会(public)こそが雇い主であると認識している。したがって、その行為や報告が雇用主によって指示を受ける簿記係とは異なっている。公共会計士の証明書は、代表者または取締役に宛てられたものであるが、事実上、実際に株主となっている、または将来の株主である社会に向けて作成されている。公共会計士は、能力、多様な経験、そして疑問の余地のない廉潔性(undoubted integrity)を保持していなければならない。 1875年、イングランドのテーンマスで、代々多くの弁護士や勅許会計士を輩出する家庭に生まれたメイは、弁護士だった父ジョージ・イングランド・メイの主張に従って、伝統的な5年間の年季奉公を経て勅許会計士になった。プライス・ウォーターハウスに入った彼は数カ月のうちに、プライス・ウォーターハウスのアメリカ支部に行くというチャンスに飛びついた。 プライス・ウォーターハウスで、メイはめきめきと頭角を現した。その理由の1つは、彼が、躊とまど躇うことなく(unabashedly)、依頼人を怖れなかったことだ。アメリカでのメイの最初の仕事の1つは、Lルイスヴィル ニューヨーク証券取引所(NYSE)とイギリス人投資家からの圧力のおかげで、今やアメリカの大企業の多くが、外部監査は避けることのできない必要悪だと見なすようになっていた。harles C. Rレキットeckitt公認会計士は、The New York Certified Public Accountant この当時、まだ公共会計士と簿記係との区分が明確でなかったことがうかがわれる。なお、ここでいう「疑問の余地のない廉潔性」とは、現在でいう精神的独立性に近い意味を持っていたと考えられる。 『Unaccountable』(2003年発刊、邦訳書『会計破綻』)の著者Mマイクike Bブルースターrewsterは、Gジョージeorge O. Mメイayの「会計士としての矜恃」を次のように記述している38。ashville鉄道の監査だった。ouisville & Nナッシュヴィル(2)公共会計士が保持すべき「疑問の余地のない廉潔性」 1900年までに「独立性概念が進展しているという証拠」が文献に表れ始めている36。 Cチャールズの1900年1月号で以下のように述べている37。
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