7 19世紀後半に新しく組織された会計士の各団体は、すぐに会計業務の基準作りと、州の免許要件の制定に向かって動き始めた。1896年に、ニューヨーク州は最初の公認会計士法(CPA法)を通過させ、会計士試験に合格した後にライセンスを与えることとし、他の州もこの先例に従った。州会計士協会も、ニューヨーク州(1896年)を皮切りに、ペンシルベニア州(1899年)、メリーランド州(1900年)と設立され、この誕生間もない会計士に、よりどころとなる基準の賦与を目的として、州議会によって州会計審議会(state boards of accountancy)が設立された25。2.組織化の進展(1)アメリカで最初の公認会計士法がニューヨーク州で可決 ここで、最初の公認会計士法が可決されたニューヨーク州における一連の経緯を見てみよう。 イギリス人とアメリカ人という2つの陣営の存在が初期の専門業の活動の特徴であった。2つの集団(AAPAとIA=筆者注)はやがて和解することになるが、ここで重要なことは、法的承認の欠如という問題に加えて、専門業自体の団結と主体性とがまだ足りなかったことである。実務家がこのような2つの集団に分かれている限り、法的承認を勝ち取ることは困難であっただろう26。 1895年2月に公認会計士法がIAからニューヨーク州議会に提出されたが、結果として可決されなかった。時を同じくして、これに類似した別の法案がイギリス生まれの多くの会員を擁する組織であるAAPAの会員によって提示されていた。1895年3月にAAPAとIAの数人の会員が2つの草案の相違を協議するための会合に呼ばれた。45人の会計士が出席し、会計プロフェッションによって支持される法案の条件を厳密に判断するグループ「14委員会(Committee of 14)」を結成した。「14委員会」は、タイトル(title:資格)を提案するIAの法案は、ライセンス(license:認可)を提案するAAPAの法案よりも優先されるべきであるとすぐに決定した。しかし「14委員会」とロビイストの努力にもかかわらず、結果としてどちらの法案も可決されなかった27。 その後、IAの規定とよく似た規定が1896年に提案されて4月7日にほぼ全会一致で可決された。1895年時の法案は公認会計士の称号(designation)をアメリカ国民のみに制限していたが、1896年版では、国民と国民になる意向を正
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