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5することができるようにします。これらはこの業務における職業専門家の義務と業務の一部なのです」としている。また、ある会計士事務所は「必要な割合の利益を生み出すために単一の物品(articles)がどのように価格設定されるべきか」について顧客企業に助言することを提案している。さらに別の会計士の広告用チラシでは、「適切な帳簿が正確に開設され(correctly opened)完全に保管されることは事業にとっての利点です。また、間違いと虚偽記載に対する唯一の既存の予防措置は定期的かつ体系的な勘定の監査(regular and systematic auditing of accounts)です」と指摘している。 中小の会計事務所の重点は、経営管理に対する会計の補助、つまり簿記組織(bookkeeping system)、財務諸表の作成、および不正(irregularities)を検出するための監査にあった。中小企業においては、第三者による使用のために、監査済みの財務諸表が必要になることはめったになかったのである19。 会社が倒産した時には会計士にも仕事が回ってきたが、会計士は「財務検屍官(financial coroner)」と見られていたので、調査は極めて秘密裏に行われた。会計士事務所のスタッフは、会社の営業終了時刻の間際に1人ずつ会社に入り、夜中に別々に帰っていった20。Rロバートobert H. Mモンゴメリーontgomeryは、1937年の引退声明の中で、「50年前(1887年頃=筆者注)のアメリカでは公共会計士はほとんど知られず、ほとんど認められず、ほとんど需要されもしなかった」と回顧し、「公共会計士に依頼することは、企業の財務について詐欺か不正か欠損か疑惑(fraud or irregularity, losses and doubt)がある証拠だろうと疑われ恐れられたものだ」と語り、さらに「30〜40年前(1897年〜1907年頃=筆者注)までは、公共会計士による調査の多くは、秘密裏に、しばしば夜間や日曜日に行われていたものだった」と述懐している21。 ロバート・H・モンゴメリー(1872年9月21日−1953年5月2日) 1900年代前半のアメリカの会計・監査の実務と理論の双方に多大な影響を及ぼした人物であり、世界会計人会議の議長、AAPA(AICPAの前身)の会長、コロンビア大学教授などを歴任した。モンゴメリー(モントゴメリーともいう)は、1889年、フィラデルフィアの会計事務所に職を得た後、1898年には、現在の4大会計事務所の1つの基礎となるLybrand, Ross Bros. & Montgomery事務所に創立メンバーとして参加し、生涯にわたって会計・監査実務に従事した22。

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